
日本最古のお寺、奈良・飛鳥寺。そのご本尊である「飛鳥大仏」の前に立つと、1400年以上もの時を超えたおだやかな微笑みに、思わず心がなごみますよね。
では、この「日本の仏像の原点」ともいえる傑作を、いったい誰が、どんな想いで創り上げたのか、考えたことはありますか。
日本で最初に仏像を作った人物の名は、鞍作止利(くらつくりのとり)。
聖徳太子にその才能を認められ、日本の仏教美術の扉を開いた”最初の天才”です。
しかし、その輝かしい功績とは裏腹に、彼の生涯は深い霧と謎に包まれていました。
この記事では、日本初の仏師・鞍作止利の謎多き生涯に光を当てます。
▼この記事でわかること
- 日本初の仏師「鞍作止利」の人物像
- 鞍作止利が創った国宝の仏像とその鑑賞ポイント
- 天才が「謎に包まれている」と言われる具体的な理由
- 仏像をより深く味わうための新しい視点
目次
鞍作止利(くらつくりのとり)とはどんな人物?【日本で最初に仏像を作った人】
歴史上の人物というと、少し堅苦しいイメージがあるかもしれません。
鞍作止利は、今から約1400年前の飛鳥時代に生きた人物です。
一言で表すなら「日本で最初のプロフェッショナルな仏像彫刻家」と言えるでしょう。
そのルーツは大陸から渡ってきた渡来人(とらいじん)の一族にありました。
当時最先端の文化や技術を持っていた家系に生まれた、まさに時代の寵児だったのです。
鞍作止利が遺した国宝!今でも会える2つの傑作
鞍作止利が遺した作品は、1400年の時を超えて今もなお輝きを放ちます。
私たちが実際にその目で確かめることができる、代表的な2つの国宝を紹介します。
飛鳥寺「釈迦如来像」― 1400年の祈りを見守る仏像
日本最古の寺院・飛鳥寺のご本尊。それが609年に完成したと伝わる「飛鳥大仏」です。
日本に現存する仏像で、最も古いことが確実視されています。 面長の輪郭とアーモンド形の眼差しは、後の時代の仏像とは明らかに違う、力強くも優しい独特の雰囲気を持っています。
法隆寺「釈迦三尊像」― 聖徳太子の願いを映す仏像
世界遺産・法隆寺。その金堂に安置されるのが「釈迦三尊像」です。
これは病に倒れた聖徳太子の回復を願い、その死後は冥福を祈るために造られました。
中央の釈迦如来と、その両脇に立つ菩薩。三体が放つ静かなハーモニーは、見る者の心を穏やかにします。 この様式は「止利式(とりしき)」と呼ばれ、日本の仏像彫刻の確かな礎となりました。
【私の体験談】飛鳥大仏と向き合い、時を超えた対話
私は折に触れて飛鳥寺を訪れます。
何度訪れても、飛鳥大仏の前に座ると、空気が変わるのを感じずにはいられません。
お堂の中は、外の喧騒が嘘のように静かです。そこでじっと仏像と向き合う。それはまるで、1400年の時を超えた対話のようです。
「あなたを創った人は、何を考えていたのですか」 心の中でそう問いかけると、仏像の硬質な唇が、かすかに何かを語りかけてくるような気さえします。
この仏像は、多くの戦火をくぐり抜けてきました。しかし、そのお顔の大部分は、鞍作止利がノミを振るった当時のまま。
1400年前の人々も、この同じ眼差しに安らぎを求めた。そう思うと、歴史が突然、自分ごとになります。
そして、もう一つ強く思うことがあります。
それは、この仏像が持つ、不思議なほどの”新しさ”です。1400年も前の作品でありながら、そのデザインはどこか抽象的でモダンにさえ見えます。
日本という国が「国家」としての一歩を力強く踏み出そうとしていた時代。その黎明期の緊張感と、新しい時代を創るという強い意志が、この一体の仏像に込められている。
鞍作止利は、ただの仏師ではなく、時代の精神を形にするデザイナーでもあった。そんな確信めいたものが胸に迫ってくるのです。
天才仏師が「謎」に包まれる3つの理由
これほどの傑作を遺した鞍作止利。しかしその生涯には、なぜか不明な点が多いのです。
一つ目の理由は、そのルーツが渡来人であること。大陸から最新技術をもたらしたヒーローですが、その詳しい出自は分かっていません。
二つ目の理由は、歴史書に記録が少ないことです。『日本書紀』などにその名は登場しますが、記述はごくわずか。人物像は、作品から想像するしかありません。
そして三つ目の最大の謎は、傑作を完成させた後の消息が不明なことです。
法隆寺の釈迦三尊像を創り上げた後、その名は歴史の記録から忽然と姿を消します。この”空白の後半生”が、鞍作止利をミステリアスな存在にしているのです。
まとめ:日本で最初に仏像を作った人、謎多き天才「鞍作止利」の正体
この記事のポイントを、最後にもう一度まとめます。
- 鞍作止利は、飛鳥時代に日本で最初に仏像を作った日本初の天才仏師です。
- 代表作は「飛鳥大仏」と「法隆寺の釈迦三尊像」で、今も奈良でその姿を見られます。
- 出自や記録の少なさ、そして忽然と歴史から姿を消した後半生から「謎多き天才」と呼ばれています。
一人の天才がいたからこそ、日本の美術、そして日本の祈りのかたちは始まりました。
もしあなたがこの記事で少しでも心動かされたなら、ぜひ一度、奈良の飛鳥寺や法隆寺へ足を運んでみてください。
きっと目の前の仏像が、鞍作止利という一人の人間の”生きた証”として、あなたに力強く語りかけてくることでしょう。